緊張波動とは
ここでは私が病の根本原因に位置付ける緊張波動について述べます。
医療の次元で見ると、対症療法主体の現代医学に比べて東洋医学やカイロプラクティックはより根本療法と言えますが、それらが病の根源とする東洋医学の邪気とか、カイロプラクティックのサブラクセーション〔いわゆる背骨のズレ〕を引き起こす、更に根源性の高い存在です。
緊張波動は元々存在していたものですが、それが近年電磁波によって運ばれ増幅される様になって大幅に強い影響を及ぼすものになって来ております。
この緊張波動を感覚的に捉えている人もおりますが、その発生・性質について正しく捉えた説を耳にしたことはありません。
緊張波動はこの上なく手ごわい相手で、私自身もその全貌を捉えたとは思っておりませんが、今回はそれがどういう過程で発生し、どういう働き方をするか、そして次回はそれにどう対処して行ったら良いかについて、現在分かっている範囲で述べたいと思います。
東洋医学では”邪気”という言葉があり、韓国ドラマの時代物を見ていて、緊張波動的なものを表現するのに邪気という言葉を使っているのを見たことがありますが、これは誤りです。邪気はやってはいけないことをやる、あるいはやるべきことをやらない”自分自身の気”です。これに対し緊張波動は外から自分に向かって来て能力発現を妨げようとする波動で、邪気も緊張波動によって引き起こされます。
緊張波動を分かり易く説明します。例えば運動競技や音楽演奏等において、自分のことを上手だと思ってくれている人の前では実力を発揮出来、逆に自分のことを下手だと思っている人の前だと実力を発揮出来なくなってしまう、という経験をした人は沢山いると思います。この場合、自分のことを下手だと思っている人からは、自分の実力を発揮させてやらないという波動が出ています。これが緊張波動です。
人間にはイメージすることによって現象化する能力がある
スポーツ選手がよく取り入れている方法にイメージトレーニングがあります。
実際に経験したことの無いことを頭の中でありありと思い描き、実際に経験したことに置き換えてしまうのです。
それによって現実の世界でその実現を図ります。
フィギュアの羽生選手もオリンピックの前に頭の中で四回転ジャンプをすべて成功させたそうです。
人間には頭の中でリアルに思い描くことによりそれを現象化させる能力が授けられています。
好ましいイメージと好ましくないイメージがある
羽生選手が頭の中で四回転をすべて成功させたことは本番での実力発揮につながり、自らの向上をもたらす素晴らしいトレーニングと言えます。
ところが誤ったイメージを行いますと、好ましくないことが起きる場合があります。
例えばオリンピックでメダル争いをする程度の実力のあるAという選手(あるいはそのコーチ、親族等)が、羽生選手の様に自分の演技が成功するイメージをするのではなく、表彰台の真ん中に自分が立ち、自国の国旗が掲揚されているイメージをありありと描き、実際に経験したことに置き換えることに成功したとします。
このイメージを行わなくても表彰台の真ん中に立つ実力を持った選手であれば問題は生じないかも知れません。
しかしもし実力的には彼を上回るBという選手がいた場合、B選手が例えば練習中に捻挫する等のアクシデントに見舞われて欠場するということになってA選手が表彰台の真ん中に立つということが現象化すれば、このイメージは成功したということになりますが、スポーツ精神に反することになります。
好ましくないイメージによって緊張波動が発生する
この時A選手(あるいはコーチ、親族等)からB選手に向けて送られ捻挫させたエネルギーが緊張波動です。
私は音楽コンクールの直前になって腱鞘炎になった音楽学校の生徒を診たことが何度かありましたが、上例と同じような経緯で発生した緊張波動に起因するものと考えられます。
そしてその様な生徒が来院した時、治療する前にスマホにKAIESを貼っただけで弾く時の痛みがかなり軽減されてしまいます。
腱鞘炎を引き起こしている緊張波動の多くがスマホの電磁波経由で送られて来ていることが分かります。
[思い込みによって容易にイメージは作り出される]
イメージを現象化させるにはリアルなイメージ力が必要で、意識的にこれを行うのは簡単ではありません。
ところが実生活上で無意識的に事実ではないことが事実としてイメージされることがあります。
現実ではないことなのに現実だと思い込んでしまうことは結構あることで、この場合は意識的に無いことを有りとイメージするよりも容易にリアルなイメージが形成されます。
好ましくないイメージが自らを正当化させる場合に緊張波動が発信される
それが羽生選手の様に自らの向上に資するものであれば良いのですが、実生活上での思い込みは人に対する好ましくない思い込みが多い様です。
ただし人に対して実際と違った悪い思い込みをしても、それだけでは緊張波動は発生しません。
緊張波動が発生するのは人に対する悪い思い込みによって自分が”正当化”される場合てす。
緊張波動の発動例1
例えば能力があり人一倍努力努力して来た人が目標実現直前に不慮の出来事でそれが叶わなくなったとします。
この人がその時に自分が陥った状況を正当化するために、「世の中は思う様に行かないものだ」という信念を持つ様になったとします。
それによって自分の気持ちの鎮静化を図るのです。
この場合その信念が自分の中だけに働いているのであれば問題ないのですが、自分の周りの人達にも「世の中は思う様に行かないものだ」と正当性の枠を広げて行くと飛んでもないことが起こり始めます。
その人の周りの人達の人生が思う様に行かなくなるのです。
本人はただ「世の中は思う様に行かないものだ」という信念を持っているだけなのですが、結果としてその人から周りの人に「物事を思う様に行かせない」という緊張波動を発することになってしまいます。
緊張波動の発動例2
次も緊張波動の発生がよく見らる例です。
新興宗教の信者の周りにいる信者でない人達は不幸になる場合が多いです。
新興宗教の信者になって何らかのご利益があったとすると、その信者は周りの人も「信者になれば幸せになれる」のにと思います。
「信者になれば幸せになれる」は裏を返せば「信者にならなければ不幸になる」という念です。
信仰というのは熱心の様でも「信」の上に成り立っているものゆえ心の隅に一抹の不安を抱えており、それを打ち消して自分の「信」を正当化しようとする念がいつも働いています。
こうしてその信者から周りの人に「信者にならなければ不幸になる」という緊張波動が発せられることになります。
信仰宗教ではそれなりに正しい心の持ち方などが教えられますが、それとは関係なく信者は周りの人達へ「信者にならなければ幸せにはさせない」という緊張波動を浴びせ続けることになります。
緊張波動の発動例3
最後に強力な緊張波動を発する典型例を一つご紹介します。
それは遺骨です。
前々例の「世の中は思う様に行かないものだ」という信念を持った人が亡くなったとします。
火葬場で遺体が焼かれて骨だけが残ります。
この骨には「世の中は思う様に行かないものだ」という念がしっかりと残っており、生前同様関係者に「物事を思う様に行かせない」という緊張波動を発し続けます。
勘違いしないでいただきたいのは、遺骨に残っているのは念だけで、亡くなった本人がそこに居て念を発し続けているのではないということです。
故人の心は死によってそれを存在せしめていた五感の消失と共に消失しましたので、もうこれ以上緊張波動を発信することはありません。
ところが既に発せられた念は、生きている人が発しようと故人が発しようと、一旦発したら発した本人とは関係なく、例えば「物事を思う様に行かせない」という”使命”を果たすのに都合が良い拠点を見つけ、緊張波動を発信し続けます。
故人の場合は遺骨が代表的な発信拠点になります。
多くの人がお墓にお参りに行きますが、そこに居るのは故人ではなく故人の残した念です。
そしてこの念は親族が如何に「お守りください」と心を込めてお願いしても、あるいは僧侶に祈祷をお願いしても、全く聞く耳は持たず”使命”を実行しようとし続けます。
昔の様に土葬されていれば波動は大地にアースされますので”浄化”されるのですが、現代では遺骨は骨壺に入れられて墓石の中に安置されますので、緊張波動は永続的に発信され続けます。
私は骨壺の下にポケットKAIESを置いたらびっくりするほど体が楽になったという報告を親族から受けたことが数回あります。
遺骨の処理法は緊張波動処理法の中で述べます。
強い恨みや妬みが強い緊張波動を発生させるとは限らない
上記の例の様に強い緊張波動の発生要因は「思い込み」と「正当化」です。
一見強い恨みや妬みは強い緊張波動を発生させそうですが、例え「殺してやりたい」とか「だめにしてやりたい」と強く思っても、死んだ状態とかだめになった状態がありありとイメージされ、しかもそれが自分の正当化をもたらすものでない限り、強い緊張波動の発生要因とはなりません。
そしてこのありありとしたイメージは意識的・能動的にイメージされたものではなく、自分の中で既成の事実であること、すなわち強い思い込みとなっていることが強い緊張波動発生の決め手となります。
世の中には緊張波動が充満している
以上はほんの一例ですが、自分を正当化する思い込みによって発生した緊張波動が現代社会では電磁波によって運ばれ増幅されるため、その影響力は想像を超えたものになっています。
多くの人はその様なことはあるかも知れないが、病気やトラブルの”一因”に過ぎない程度だろうと思うでしょう。
しかしながら緊張波動を処理するために開発したKAIESによって多くの症状が緩和されるという事実を目の当たりにすると、”一因”ではなく”主因”とする方が妥当の様に思えます。
緊張波動の拠点
緊張波動は一旦発せられますと、コンピューターの様に正確にその”使命”を全うするための”最善”の手段を選択してターゲット(人)を攻撃します。それは”使命”を全うし終えるまで”忠実”に続けられます。
緊張波動が発信された場合、ターゲットが至近距離にいれば直接強い影響が及びますが、至近距離が一日中ずっと続くということは家族でもほとんどありません。そのため緊張波動は一日中攻撃出来る様にターゲットの住まいや所持品等身近なところに出来るだけ沢山の拠点を作り、そこから持続的に攻撃をします。
発信者が特別な能力を持っていない限り、発信者からそれら拠点が遠く離れた所にあってしかもそこに行ったことが無ければイメージすることも出来ませんので、拠点に緊張波動を送り込むのは難しくなります。ところがそれでも離れた拠点に緊張波動を容易に送り込む手段を現代文明がもたらしました。それを列挙します。
- 光ケーブルをはじめとするインターネット回線
- 地デジ・衛星放送等の放送局からの電波
- 携帯電話を含む電話回線
- 東京電力等の電話回線
- 電波時計
発信された緊張波動がどこから上記の経路に乗り込むのかは分かりませんが、ターゲット側に来ているこれらの経路の終端部分に主要な緊張波動がすべて検出されますので、上記の経路が利用されていることが分かります。
こうしてターゲットの近くにやって来た緊張波動はターゲットを取り囲む様に攻撃の拠点を構えます。代表的な拠点を列挙します。赤字は電磁波によって緊張波動が増幅されます。
- 携帯電話
- 家を取り囲む電線
- 腕時計、電波時計
- ストーン(宝石類)
- 金属製品、とくに集合住宅の鉄骨、自動車のボディ、合わない金属製の指輪
- インターネット周辺機器~パソコン等端末
- テレビの地デジや衛星放送のアンテナ~テレビ
- その他の電気製品
- 金属製窓枠
- 癌細胞
- 病源微生物、ウィルス
- その他
厳密に言うとKAIESを付けると体が楽になる物はすべて拠点ということになり、すべて処理するのは困難です。上記のうち1,2は誰もがKAIESで処理した方が良いと思われますが、それら以外はまず身体処理用KAIESで自らの免疫力向上を図り、それでも必要な場合だけ処理した方が良いでしょう。
体と心の本質
緊張波動が何故この様にはびこってしまったのか、それを明らかにするために、今迄曖昧のままにされてきた体と心の本質について言及したいと思います。
私達の体は無数の細胞から成り立っています。
一つ一つの細胞はとても小さいですが、それぞれ役割があり、寿命が尽きるまで黙々とそれを果たして行くのが正常細胞の姿です。
同じ様に私達の体は広大な宇宙のとても小さな構成分子ですが、それぞれ役割すなわち天分があり、寿命が尽きるまで黙々とそれを果たして行くのが本来の姿です。
それぞれ役割こそ違っても優劣を付けようの無い存在です。
“自分全う”を大切にしている人達にとっては、”天分全う”は真面目過ぎて何か夢の無い虚しいものに映るかも知れません。
ところが私達が無心にその役割を果たしていると宇宙全体の大きな流れのサイクルに乗る様になります。
そして物事がうまく運ぶ様になり、結果的に”自分全う”も実現される様になります。
体の中からは大きな安心をともなった喜びが湧いて来ます。
心の描いていた自分の願いが叶った時にも喜びは生じますが一時的なもので、宇宙のサイクルにはまった時に生じる喜びはそれをを遥かに凌ぐものです。
この状況は海面に発生した波に例えることが出来ます。
海の表面から波を見ると、刻一刻と形を変えて行き、岸に打ち寄せられて消滅します。
一つの波を自分だと思って執着すれば、岸に打ち寄せられて消滅するのが避けられないことを知って暗い気持ちになります。
生死の問題だけでなく、目の当たりにするすべての物事は生滅を繰り返し、その一つ一つに執着すれば喜怒哀楽を繰り返します。
心に支配されて五感の世界のみに意識を置いている限り、安心は訪れません。
一方海の中から波を見ると、波を識別することは出来ず、その波が岸辺に打ち寄せられて消滅しても、海の水は一滴たりとも増減しません。
その見地に立つと、私達の体は宇宙の中で生まれる前も、生きている間も、そして死んだ後も、不生不滅ということになります。
確かに私たちの心は、死んだ後はそれを存在せしめている五感が消滅しますので、それに伴って消滅します。
そして体も死ねば火葬場で焼かれて無くなると思われています。
ところが、こじつけた捉え方の様に映るかもしれませんが、質量保存の法則ないしエネルギー保存の法則により、体は焼かれても形が変わっただけで消滅しません。
死んで無くなるのは心で、体は意外にも永遠の存在と言えます。
私達の体が”所属する”不生不滅の大安心の世界は、”海の表面”を見る五感ではなく、”海の中”を見る開閉感覚によって接することが可能です。
私は現役時代に開閉感覚で治療をしていたため、人の体を”海の中”から見ることが習慣付いてしまいました。
私の治療の目標は患者さんの全身に回復力を行き渡らすことで、それに成功すれば結果的に症状も治まります。
現代医学では目で見て検査することを視診と言いますが、東洋医学では望診と言います。
物がよく見えない時、より近づいて見るとよく見えるというのが物理的な常識ですが、東洋医学では何が問題か分からない時や、治療して本当に良くなったかを判断する時に、一歩下がって全体を見ます。
治療前で患者さんの回復力のレベルが低い時は、望診すると患者さんの体が周囲から孤立し、全体と一体化していません。
それが治療して回復力が全身に行き渡る様になると周囲に溶け込み、全体と一体化します。
全体と一体化する様になるまで治療を続けて行く過程は、丁度絵画や彫刻の芸術作品を制作する過程で完全な物に仕上げようとする感覚と同じだといつも感じていました。
回復力が全身に働くということは、全体(宇宙)と一つになった時に成就されます。
言い換えれば回復力とは個人の体の中だけで巡る物ではなく、体が全体すなわち宇宙の中の一つの正常細胞となって機能する様になった時に巡るものなのです。
そして宇宙と一体になった時の体を見ると、私の眼には、それに”乗っている”心の良し悪しに関係なく、誰彼の区別無しに等しく感動を生じさせる、尊い存在の様に映ります。
人は皆平等に尊い”体”を授けられており、その体はどんなことがあっても宇宙の法則通りに働こうとしているのですから、いつも体の声に聞き耳を立てる生きて行くことが望ましいと思います。
緊張波動発信の引き金となる”正当化”も五感の世界のみしか見えない心の世界の不安から発生するものです。
私達の体の中で自然のサイクルが妨げられれば病気になる様に、緊張波動は宇宙の自然なサイクルを妨げ、個人も、そして結果的には社会も混乱に陥れます。
それは人の天性の発現を妨げ、宇宙の流れから外し、物事がうまく運ばなくするということが共通した働き方です。
ですので緊張波動に影響されると体が具合悪くなる場合だけでなく、公私に渡る生活全般のどこかに不具合が生じる場合があり、影響の現れ方は一様ではありません。
緊張波動の発信者自身も、例え発信した緊張波動によって”正当化”に成功したとしても、そうすることは宇宙の一分子としての役割ではありませんので宇宙のサイクルに乗れず、物事がうまく運ばなくなって結局は自滅の道を辿ることになります。
この地球という惑星上に起こっているこの事態が今後どう進展して行くのか、私には想像がつきません。
言えることは、この問題が解決しない限り、その結果起きている問題をいくら解決しても、根本解決には至らないということです。
当分の間は緊張波動の影響を最小限に留めて宇宙のサイクルに乗り、そこから外れない様に努め、あとは宇宙の流れに任せるしかないでしょう。